普通に

自分が普通の枠組みの中で生きてきたこと

ここでいう普通の社会人とは、

電話対応が出来、

他者と対話コミュニケーションを取り、

長時間のパソコン作業が問題なく、

膨大な無駄な書類と契約を行い、

業務外でも他社員と仲良くできる人

を「普通」という。

わたしは、普通が出来なくて病気になった。

そして、病気を持った人たち、「普通」ができない人たちの中で働くことも出来なかった。

出来なかったというより、私がこれまで普通の囲いの中で楽に生きてきたことを痛感して、息苦しくなってしまった。

「障害への配慮は難しい。」と一文で、簡単に、書くこともできる。

けど、これほどまでに普通に、または普通から外れながら生きることが難しいなんて。

それを対価にして働き、お金をもらうことが苦しいとは、なんて労働とは大変なことなんだろう。

そしてそれがあと40年続くなんて。

冬の寒い空気が綺麗だとか、たまの晴れ間の暖かさとか、外の犬が寒そうだとか、ショーウィンドウの服が羨ましいとかそんな気持ちが全部死んでしまいそうだ。

普通に生きていきたいのに。

普通じゃなくても生きていきたいだけなのに。

素直な気持ちとかいう

このままいくと来週退院らしい。

病院は身体を元気にするところなので、身体が元気な私は出ていかなくてはならないのだ。

現在の日常↓

6:30  起床

8:00  朝ごはんと薬

12:00  お昼ごはんと薬

13:30  別部屋でレクリエーション

15:00  天気が良ければ外出

18:00  晩ごはんと薬

21:00  寝る前の薬&就寝

これ一人暮らしでも可能なのか……?

というか仕事しながら21時就寝とか可能なのか…自由とは、、尊厳とは…

 

でもとりあえず一人暮らしを成立させないとそろそろ実家に強制送還させられそうなので、

親知らずを噛み締めて生き残ろう。

 

 

米コメ

うまい米食うのって精神衛生上大事。

 

入院先のご飯がう〜〜〜ん、美味しくない訳ではないが普段実家の米農家から精米したての米を送っていただいているおかけで、そんじょそこらのご飯は美味しいなぞ言ってやらんぞよホーッホッホッホという米貴族なもので、

やはり美味しく、、ない。

最近読んだ北大路魯山人の手記にうまい米はおかずの邪魔じゃ、的なことを書かれてましたが、モンゴルに行ったときそれを実感した。

モンゴルは基本的に中国やらベトナムから米を輸入してるので料理文化が米前提ではないことを指し置いても、米がひたすらまずい。

けど、そのパサパサで生臭い(研ぎ汁臭がする)米も、羊や味の濃い野菜の汁と一緒に食べれば、あらイケるのである。

世界の料理において、米は具材と混ぜたり炊き込んだり煮込んだりして食べるものであって、

日本の米のように米単体で食う(味わう)ことはなかなか無いのではないかなぁ。料理人でも文化人でもないのでそこら辺はただの感想です。

 

何が書きたいかというと、

美味しいご飯が食べたーい。という入院生活の愚痴でした。

食べ物をこぼす

食べ物をこぼすことにかけては自信がある。

入院生活中すでに3回もこぼし、2回も味噌汁碗をひっくり返した。

わたしがこんなにも食べ物をこぼすのは、残念ながら遺伝だ。祖父母も父も、食事中アラアラと言いながらこぼすのだ。どこか気品ある父方の祖母も気品ある食べ方をしながらボロボロと寿司をこぼしていたのを大変覚えている。

その遺伝子が2分の1も入っているなら、わたしもこぼすしかない。

今日の当直は割と冷たい方の看護師さんなので、ひとまずひっくり返した味噌汁碗を元に戻しティッシュで拭いたはいいものの、

捨てたゴミ箱が味噌汁の具の青菜臭い。

というか食事作りをした人は味噌汁の味見をしてくれたのだろうか。こんな青菜臭い汁があってよかろうかというくらいだぞ。

ゴミ箱回収は毎週金曜日なのであと5日間この臭いと格闘するのも阿呆らしいので、素直に深刻して回収してもらおう。優しい看護師さんのときに。

 

葛根湯処方するやつは藪医者説

入院することになった。

約一ヵ月ほど。長い。意外と長い。

入院初日、わたしは生理2日目とインフルエンザにかかり、地獄のような体調不良であった。

入院の準備等々を一手に引き受けてくれた母は「すごいイケメン看護師がいるよ!!!しかも2人も!!!」と意気揚々としていた。その呑気さが有難い。

 

わたしはというと、母の勧めるままに入院の希望を出してこれで良かったのかなぁと若干迷いもあるが、正直このままでは同じことの繰り返しでしかないと思ったので入院してよかったな、イケメンもいるしな、と少し前向きに考えています。

ただしインフルエンザと疑われず3日間ほど高熱のまま葛根湯で放置されていたことは割と根に持ってます。主治医よ。

コーヒーガソリンスタンド

はじめてコーヒーを飲んだのが覚えている限りたぶん4歳、その頃おじいちゃんは60代だった。

 

幼少期、わたしはおじいちゃんとふたり、山だったりギャラリーだったり川だったりに、保育園をズル休みしてドライブしていた。

 

今の保育園の制度だったらダメだよねズル休み。昔もダメだったのかもしれないけど、ほんとによくドライブに連れ出されていた。

 

そこで、ドライブの途中で寄るガソリンスタンドがすごく好きだった。

ガソスタの匂いが好きなのも幼少期の刷り込みである。自分は運転する人にはならなかったけど。

好きだった理由は、たまに貰える飴ちゃんと、ものすごーーーく甘くしたコーヒーを飲めるから。

練乳でも入れてるのか?と思うほど甘かったコーヒー。大人になった今、いつもの3倍分砂糖とミルクを入れても同じ味にならないから、ほんとは何倍入れてたか恐ろしくて実験できない。

しかもおじいちゃんはそのコーヒーを作るのが面倒だったのか、孫の健康を気遣っていたのか、たまにしか作ってくれなかった。

冬のガソリンスタンドで給油を待っている間、スタンドの人と談笑してなかなか戻ってこないおじいちゃんを、甘いコーヒーをチビチビ飲んで待っていた思い出。

ガソリンがクルマにどっくんどっくん入っていく音が、小気味良いやら不可思議な機械に怖いやらで、白い息をハーっとしながら待っている時間は無限に続くようだった。

 

少し大きくなって小学生くらいになった頃、朝ご飯にコーヒーを出されて飲んだとき、めちゃくちゃ苦くてまずくて(砂糖とミルクは入れてもらってた、たしか)もういらないとほとんど残し、父親に怒られたこともあった。

 

今でもミルクがないと飲めないし、正直コーヒーの味が全くの味音痴、違いのわからない大人に育ってしまったが、

寒いときに飲むときとか、手持ちで持ち帰るときのワクワク感は、ガソリンスタンドのコーヒーがあったからだろう。

 

おじいちゃん、あのとき砂糖何杯入れてたの?

あと、早く帰ってきて欲しいなぁって寒い車の中で思ってたよ。

ドライブ連れてってくれてありがとう。

 

風呂は熱いうちに入れ

一人暮らししてはや10年、

1K風呂トイレ別駅まで徒歩15分の貧乏社会人ですので

風呂(シャワー)は毎日15分くらいです。

とくに水が勿体ないとか水道代がとか理由は無いのですが、これぞ烏の行水といわんばかりに風呂の時間が短い。

そういえばわたしの母もそうで、

幼い頃はもっとゆっくり入ったらいいのにと若干侮蔑の目で見ておりましたが今なら分かる、

お母さん、アナタ、風呂が嫌いなのね。

娘も立派にそう育ちましたよ。

 

誰かの発言で「風呂に入る前は億劫だが入ったことは後悔しない」的な格言があります。

いやいや後悔する。

風呂上がりのスッキリ感と髪を乾かす億劫さを天秤にかけたら後者が圧倒的に後悔に傾く。

毎日会社に行って人と会うからこそギリギリの矜恃で風呂に入ってるわたし、エライぞ。今日は金曜日なので入る気が一切しないがどうしよう。

お風呂は毎日入りましょう。