普通に
自分が普通の枠組みの中で生きてきたこと
ここでいう普通の社会人とは、
電話対応が出来、
他者と対話コミュニケーションを取り、
長時間のパソコン作業が問題なく、
膨大な無駄な書類と契約を行い、
業務外でも他社員と仲良くできる人
を「普通」という。
わたしは、普通が出来なくて病気になった。
そして、病気を持った人たち、「普通」ができない人たちの中で働くことも出来なかった。
出来なかったというより、私がこれまで普通の囲いの中で楽に生きてきたことを痛感して、息苦しくなってしまった。
「障害への配慮は難しい。」と一文で、簡単に、書くこともできる。
けど、これほどまでに普通に、または普通から外れながら生きることが難しいなんて。
それを対価にして働き、お金をもらうことが苦しいとは、なんて労働とは大変なことなんだろう。
そしてそれがあと40年続くなんて。
冬の寒い空気が綺麗だとか、たまの晴れ間の暖かさとか、外の犬が寒そうだとか、ショーウィンドウの服が羨ましいとかそんな気持ちが全部死んでしまいそうだ。
普通に生きていきたいのに。
普通じゃなくても生きていきたいだけなのに。